あまりにも健全過ぎて非の打ち所がない人と接するのは苦しむんじゃないか。そう思うと二の足を踏んでしまう。少しくらい浅ましいところがあってもいいんじゃないかと告げてみても、挙げる事例は浅ましさの欠片もなく。きっとそこに嘘はない。予想以上に長い間どっぷり浸かっていたぬるい生活を打破するチャンスとも思うが、そう簡単に手に入るとも思えず考えあぐねてしまう。素直に受入れられないのは、形にならぬまま終わってしまうことへの無念さもあるのかもしれないが、そこにこだわっていてはダメだろう。2週間後、私は決められるのか。