頭がおかしい三十路女

結婚することや子供を産むことは、妄想であり夢であり希望であり100%叶えられることではないから、そうならなかったと落胆して死んでいくよりも、今が寂しくない方が良いと思う。好きじゃないと言われても、ほんの少しだけでも受け入れてもらえる余地があるのなら、と追いかけてしまうのはそういう理由があるからだ。結婚したくないわけじゃないし子供を産みたくないわけじゃないけれど、結婚したいわけでもなく子供を産みたいわけでもない。どんな形であれ好きな人と繋がっていられたら良い。ただそれだけ。だから私の脳みそからはその部分がすっかり抜け落ちてしまっている。物心ついた頃から好きな人に受け入れられなかったから、私はそういう運命なんだと自分に言い聞かせていままで生きてきた。だから相手がどういう状況であろうが私が好きである以上何事も障害にはならないので、既婚者でも好きなものは好き、という風になる。その報いはいましっかりと受け止めている。

ヤツのたんじょうびの土曜日、一応ろうそく消しだけでもやっておくべきだな、と思いメールしておいた。ヤツの仕事が終わった後だったので遅い時間に夕飯の残りとケーキを持ってでかけた。会社に来て、と言われたので家に行く緊張を考えると都合が良いなあと思っていたのに、行ってみたら予定変更で家でテレビを観ながらごはんとケーキを食べた。(もちろん私の荷物はすべて一ヶ所に集め、粗相のないようにお行儀良く座っていた)

早々に寝ると言い出したので「一緒に寝てあげようか?」と冗談っぽく切り出したら「じゃあ早く着替えな」と意外な返答。不動産屋くんとどうなったか?と聞かれたり、いつになく自ら機嫌良く話をしていたから、の流れだったのかもしれない。いつも通り朝まで一緒に眠るだけのつもりだったのに、蓋を開けてみれば違った。とにかく何もかもが違っていて何がなんだか全くわからない。トータル的に考えれば"都合よく使われてるだけ"となるわけだが、以前のヤツのパターンとは全く違う部分がありすぎて、いや待てよ、となる。誰にも言えなくてぐるぐると考える。

あまりにぐるぐるなので「果たして私はヤツの気持ちがどうあってほしいと思っているのか」という風に考える方向を変えてみた。となると答えはシンプルだ。ヤツが私のことを好きであろうがなかろうが一緒に眠ってくれさえすれば良い。だから今の状況が"都合よく使われている"んだとしても、たいしてショックでもなければさほどイヤな気持ちにもならない。"一緒に眠ってくれた"その事実があるのだから私は満足。ヤツが私のことを真剣に考えてくれている必要があるのは対外的な面だけであって、私自身はさほど重要視してないということになる。もちろん真剣に考えてくれていることが本当ならばとてつもなく嬉しいことではあるけれど、付き合ってもうまくいかないことがわかっていながらも追いかけ続けるのは、一般的な人よりもとても低いところに満足点が設定されてるからなんだなあと他人事のように思う。