ヤツにとっての私ってなんだろう。愚問なのは承知の上ではあるのだが、何かの折にふと考えてしまう。私がヤツを好きでいるのは勝手だ。誰にも止められないし咎められることもない。ヤツの気持ちがこちらに向かないことは寂しいけど、人の気持ちは自由に変えられないので仕方がないと思っている。ただこの宙ぶらりんの状態が気持ち悪い。9月下旬から毎日北九州の現場に行っていて、さらに悪いことに組んでた後輩が玉突きにあって入院したとか。日曜日の電話で「1月いっぱいかかるから(相手するヒマはない)」と言われた。「そうですか」と言うしかない。ただの友達だから。

先週仕事が本当につらくて吐き出せるのはヤツだけだなと思ってメールしたけど、私の自由が利かなかったのとヤツからの返事もなかったのとで「また聞いてください」と送って終わっといた。週末ヤツの家の近くで看護婦ちゃんとごはんを食べたら調子が悪くなってきて帰りの電車があやしいなと思ったから、土曜日が仕事じゃなくて会社の車を使えるようなら送ってくれないかな、と思って「明日仕事?」とだけ聞いた。当然のごとく返事がなかったので踏ん張って電車に乗ってみたものの途中でリタイアし、0時から2時間近くかけて家まで歩いて帰った。返事がなかったのはメールしたのが遅い時間だったせいかもしれないし仕事が忙しかったせいかもしれない。歩いて帰ったのは私の勝手だからヤツに問題はない。翌日の午後着信が残っていたので「調子が悪くなったけど看護婦ちゃんには言えないし電車もタクシーも乗れないから送ってもらえたらなと思ってメールしてみました」とメールした理由を送っておいた。夕方電話が再度かかってきてどうやって帰ったのかと聞かれたので「○○まで電車でそこからは歩いて帰ったよ」と言うと「タクシーで帰ればよかったのに」と。調子が悪い時はタクシーに乗れないって何度も言ったのに。送ってくれなんて実際厚かましいと思うから送ってくれないの別に構わない。ただ私がどういう状態にあるか、どうして歩いて帰る必要があったのか、は覚えておいてほしい。

この日のことを考えるととても寂しくて泣きそうになる。終電を途中で降りた時の途方に暮れた気持ち。遅い時間だったから母にも電話できなくて、車を持ってる友達も近くにいなくて、何時間かかるともわからない夜道を少しドキドキしながら歩いて帰ったこと。電車の中で足も手もガクガク震えてつらくなって電車を降りてしまったことを誰にも話せない孤独な気持ち。ようやく目処がついた頃に空を見上げたらキレイな月が出ていたこと。


これから別の誰かを好きになるのに何年かかるんだろう。何年、何十年先だろうときっと誰かを好きになるだろうけど、また同じようなことで苦しめられるかもれしない。これから私はどういう風に生きていけばいいんだろうか。