いろいろあった先週。母親不在のため遅刻をしないために気を張っていたので目覚まし前に起き、ゆっくりメイクして出社すること数日。最後の日はさすがにぐったりだったけど、なぜだが前日4時に寝た土曜日の朝も7時起き。寝るまいと思いとっとと起きて、風呂→病院→パン屋→ユニクロと午前中に済ませて午後から夕方まで寝ておった。



恩人の死因は事故とのこと。2/26にスーパーの駐車場で跳ねられて意識不明、逝ったのは3/2の夜だったみたいだけど、告別式の席で誰もはっきりと話してないってことは、小さい町だから加害者は知り合いで・・・みたいなことだったのかもね、と。小さい葬儀場で告別式の時間ちょっと前に着いたらもうすでにギュウギュウで、おそらく200名くらい集まってたようだ。これもひとえに生きていたうちの行いのおかげだ。誰もが明るくて楽しい人だったと口々に言う。古くからの親友の方の弔辞もすばらしく、年賀状の話は私と同じ思いだったし、「賑やかな場が好きな貴方らしく桃の節句に逝ってしまいました」もその通りだと思った。奥さんは衰弱した様子はなかったが、いろんなことが終わった後にガックリくるんだろう。最後にお顔を見せていただくと、頭には白い包帯のようなものが巻かれていた。きっと手術の跡だったんだろう。手を尽くしたけどダメだった、それがわかっただけでも良い。顔色はやっぱり土色で血色はないが、傷ひとつなくキレイな顔をしていたので安心した。頬に触れたいとも思ったのだが、あの冷たさに悲しくなるので今回は明るい色のお花を足元にたくさん入れて、手を合わせて感謝の気持ちと頼まれた人たちの分のお別れをした。出棺準備のあいだもずっと見守って、穏やかな笑顔の遺影を目に焼きつけてきた。出棺の頃には降り続いていた雨は止み晴れ間が覗いた。息子さんが最後の挨拶で「気まぐれな父らしく、きっと父が晴れにしてくれたんだと思います」と。私も本当にそう思う。急に逝くことになってすごくすごく悔しいだろうけど、びっくりするくらい多くの人に見守られて送り出された最後、きっと喜んでいるだろうなと思う。



告別式から戻った夕方、めずらしくヤツから電話あり。博多駅近辺に用があるからお暇ですかってお誘い。丸1日仕事してない上に夜は母を迎えに行かないといけなかったので悩んだが、滅多にないことなので誘いに乗ってみた。予想通り話したいことがあったようで、インドカレーを食べながら話が止まらない感じ。私も近況をいろいろ話して、最後は男と女とはみたいな深い話にもなり、終始楽しそうにしていた。



日曜日はちょうどおっさん飲み会のメンバーの自宅で集まることが決まっていたので姪浜まで。まずは事故で亡くなった前副支店長の冥福を祈り黙祷を。それからちらほら思い出話なども。ここでもユニークで熱い人だったね、とみんな口々に言っていた。みなさんしこたま飲んで私は片付け担当。「こんなおじさんばかりの飲み会にいつも呼んですまんねぇ」と。いえいえたいへんありがたいことですよ、と、いつもの会話も。6時間の長丁場。暗くなってからようやくお開きとなった。数日前にヤツに会った時に姪浜の話になり冗談っぽく「迎えに来てよ」と頼んでおいた。どうなんだろうなと思っていたら迎えに来てくれると言う。どういう風の吹き回しなんだろうか。帰りは前の支店長とふたりで、恋愛の話になり、実は3度フラれた人が迎えに来るんですよね・・・と話すと臆せずガンガンいけ、とのこと。もう足元掬われるのは嫌なのでいかないけど、いろいろ考えるところはあるなあと思う。あまり食べてなかったので、最近話題のペペタマの"らるきぃ"に行ってみた。モチモチの麺が珍しいしもちろん美味しいんだけど、日頃美味しいものを食べてる芸能人がわざわざ来るような店かなあという感じも。「どこまで送ればいいの?」と聞かれ「家まで」とわざと答えてみたら本当に家まで送ってくれた。なんなんだろうなあ。わからん。