このところの"通勤ラッシュの電車に乗れない"のは厄介だ。元々は外食できないのも併発してたからどんどん痩せてしまったのもあってある程度理解があったような気がするが、今は朝の電車に乗れない以外はいたって普通なので信用されにくいんだろうと思う。(泊まり以外で酒を一切飲まないのもパニックのせいなのだが、すっかり忘れられているのだろう)

自分でも薄々感じていたことを、上司と後輩から突きつけられた。元々が朝が苦手なせいもあって余裕ある出勤をしてないことを指摘されてはいたが、他の上司が「無理しなくていいから」と言ってくれてる横から「早く起きろ!早く出てこい!」と言われた時に言われてる意味がわかんなくて、どうしてこの人はいま私が起きれないことを指摘してるんだろうと不思議に思っていたのだが、明日の電車が心配なので、と二次会を断って別れる間際に「明日は早く起きろよ!」と言われたので、寝坊したわけじゃないよ?と言うと「早く起きたら来れる!気合いが足りないから電車に乗れないんだよ!」と言われてようやく言いたいことがわかった。後輩からは「支店長もそろそろヤバイよ〜。今日もちょっとね〜」と笑って言われた。

甘えたことを言わせてもらえば、一番付き合いが長くパニック発症した当時から付き合いがある2人にそんな風に思われてたのはショックだった。「無理しなくて良い」と言ってくれる上司もいるから確かに甘えていたと思う。どんなに眠くても世の中の人たちが出勤しない時間に電車に乗れば解決するのだから、それができないのならこの規律に雁字搦めの日本では会社を辞めるべきなのかもしれない。どんな理由であれ遅刻することは規律を乱すということなんだろう、遅刻するくらいなら休めとも言われた。結局そんな程度の仕事しかしてないと思われてるのだ(だったらもっと気軽に休ませてくれても良いはずだと思うが)。休んでどうにかなるもんならとっくに休んでる。一度休めば次はない(もう乗れる気がしない)と思ってるから、少々の遅刻で通えるのなら、とがんばってたのだが、規律の前ではそんな個人の勝手な意見なんて関係ない。

最近はパニックの認知度が上がって理解してもらえることも増えたが、自分と関わりのあるところに居れば目障りにしかならないんだろう。世の中そんなもんだし、結局自分だってそんな風に思うのかもしれないわけだし、さほど期待はしていなかったが、あの言葉だけを突きつけられたのはやはり堪えた。

毎朝目が覚めた瞬間から不安だ。起き抜けから動悸がするからすぐに安定剤を飲む。出かける準備をしてるうちに落ち着いてきて、その状態をキープするためにゆっくり歩いて駅へ向かう。それでも駅の階段を上がる頃には軽く動悸が始まるから、極力気にしないようにしてホームで電車を待つ。電車が入ってきたらドア付近に立てる車両を見つけて乗る。うまくいけばそのまま乗っていられるけど、大抵は脚の力が抜ける感覚になるし、ひどい時には全身の血が下がる感覚になり、脂汗が出てカタカタと震える。当然毎回ドアが開く度に降りたくなる。降りたくなる衝動を抑えれば、ドアが閉まった瞬間に面白いくらいに手が震える。

こんなことを説明したところで経験のない人に辛さは伝わるわけはないし、所詮は他人事だ。ましてや途中の駅で次々に電車を逃してるうちに泣けてくるなんてわかるはずもないし、わかりたくもないだろう。(当然話すつもりはない)

このご時世、仕事は辞められないから何としてでも通うしかない。明日は早起きできたらいいな。もう他人にあれこれ言われて悔しい思いをするのは御免だ。