• ふた駅分早歩き 65分

「来月〜(ハート)来月〜(ハート)」と浮かれて歩いていたんだけどふと気づいた。「5月って再来月・・・」。テンション上がり過ぎて疲れもないしどこまででも歩けそうな気がしたんだけど、明日のことを考えていつもの2倍で止めておいた。靴底の薄く硬いコンバースでは私の体重を受け止めるのは難しいようで駅のベンチに座ったらひどく腰が痛かった。



浮かれている自分と冷静な自分がいて、歩きながらいろんなことを考えた。今日電話をくれた人のことは今も昔も変わらず大好きだ。私の20代をそっくりそのまま渡したと言ってもいいくらい。渡そうと思っていたわけでも渡してくれと言われたわけでもなく結果としてこういうことになっただけだ。いまの私を形作る基となったものの大部分に彼が関わってる。

お付き合いをはじめた当初から期限付きの恋だと思っていながらもなんだかんだで10年以上経った。ようやく私にも新しく好きな人ができ彼のことを考える時間は徐々に減っていったが、今の彼の状況を思うとそのことを告げることもできず、彼の前では以前と変わらず彼のことを大好きな私でいる。もちろんいまでも大好きなことに変わりはないのだが、いとおしい気持ちがなくなってしまった。それに気づいた時、少しだけ寂しい気持ちになった。

恋人同士でなくなったとしても、私たちの関係がきれいさっぱりなくなることはないと思う。長いあいだそれで良いと思ってきたけれど、好きな人ができた今もしかしたら間違いなのかもしれないなとふと脳裏を過ぎった。恋人以上の関係になってしまったことなんて本人たちにしか解り得ないことで、それを説明する気はさらさらないのだが、全く関係のない他人を巻き込むことになるかもしれない。となると取るべきものはおのずとはっきりしてくるのだが、どうしてもそうできない自分がいる。彼に対しての同情や憐れみがどれだけ陳腐で傲慢なことであるかよくわかっている。私との関係がなくなったところで彼自身なにひとつ困らないこともわかっている。だけど。

きっと「"二兎を追う者一兎も得ず"になるぞ」と笑う人もたくさんいるだろうし、私のことを大事に思ってくれている人たちは怒りだすだろう。でもこれは、私が長年居座り続けた罰だろうと覚悟はできている。彼が勝手だったことはじゅうぶん承知の上で、だ。

再来月、その日が来るのが待ち遠しいようなそうでないような、いまは複雑な気持ちだ。きっとやれないことはないんだろうが、1年前に感じたあの薄ら寒い感覚を味わうかもしれないと思うと少し寂しい。